《“みき”とのこと、bQ》

“みき”と過ごした「終戦記念日」からは2日と開けずに夜はいつも一緒にいました。
晩御飯もほとんど毎日作ってくれていたので、「半同棲」状態です。

この時期から、私の交友関係が急速に広がってきました。
“みき”は演劇部に所属していたので、“みき”を通じてその劇団員と親しくなったり、そして同じ下宿の子や大学の友達、“みき”の交友関係の中に、いつのまにか私も入り込まされた感じでした。
当時の私は、実は無口で話下手で、いつも“みき”が上手に取り持ってくれていたのです。

また私は私で、ギター部や大学の友人が下宿に遊びに来ると、“みき”を紹介して、一緒に食事に行ったりもよくしました。そういう時は私の友達と“みき”がほとんど話の中心になってしまい、私は横でニコニコしながら話を聞くという感じでした。

“みき”が私の部屋に来ている時は、私のギターを聞いていたり、私が伴奏して“みき”が歌ったり、そして“みき”はピアノとフルートができるので、フルートと二重奏をしたり‥‥、といつもギターで一緒に遊んでいました。
すると、「私にもギターを教えて」ということになり、私が大分で初めて買った当時12000円のギターをあげてしばらく教えたりしていました。

実は、その時ギターをあげたことを私はすっかり忘れていて、そのことは7、8年前に懐かしくなって“みき”に電話した時に教えてくれたのです。
その電話で「あなたから貰ったギターは、ピアノのレッスン室に置いてあるのよ」そして、「先生の恋人は“工藤”って言うんやろ」と生徒に言われたとのことです。
そのギターのラベルに私が自分で書いた名前があったようでした。
そんな事はすっかり忘れていたことなので、嬉しい話でした。(“みき”は大学院を卒業して、現在はもちろん結婚して、自宅で子供達にピアノを教えています。)


“みき”の所属する劇団員とも親しくなり、“みき”から「ギターコンサート」をしてほしいと頼まれました。
会場は名古屋の栄にある「アングラ劇場」です。
下の平面が舞台で、階段状になっている客席では、コーヒーや軽食ができるようになっているような所でした。
普段はコーヒーを飲みながら演劇を楽しむんでしょうね。
その時は何を弾いたのかすっかり忘れましたが、いつも“みき”に聞いてもらっている曲やポピュラー曲だったと思います。(写真)

《第二回定期演奏会》

第二回目「定期演奏会」は11月7日に中区役所ホールで行われました。
私が部長ということもあって、練習にもかなり熱が入っていたかと思います。

 プロク゜ラム
第一部(合奏) 
夕やけこやけ、蛙の笛、里の秋、三つの日本古謡、クシコスの郵便馬車 ・二つのギター 、アルハンブラ宮殿の思い出
第二部(ソロ、二重奏)
 ・ショーロス第一番、アメリア姫の遺書、二つのメヌエット、アラビア風奇想曲 ・アリアと変奏、ラルゴとロンド
 第三部(アンサンブル)
 ・ヴィバルディのアレグロ ・ギター協奏曲ニ長調

部員は僅か16名で、この年からギターを始めた1年生が8名いるのは驚きです。
私は第一部では指揮をとり、第二部でソロ、そして第三部の「ギター協奏曲」では部員をバックにソロでした。
オーク音楽教室のガラスケースに飾ってある写真はこの時のものです。


《“みき”との別れ話と、壊したギター》

定期演奏会が終わって、新しい年を迎えても、いつもどおり楽しい二人の生活は続いていました。
岐阜県の大垣近くに“みき”の実家があり、離れるのがいやで、“みき”が実家に帰る時は、いつも途中まで一緒に行ってたりもしていました。

“みき”が下宿に戻ってくる時は、いつも私は自分の部屋で寝たふりをして待っていました。
“みき”が下宿前のジャリに車を止める音、バタンとドアーを閉め、小走りでジャリを歩いて、そして下宿の外階段を上がってくる音・・・、寝たふりをしながらも、床から聞こえる音は全て聞こえていました。
そして音がしなくなると、静かに私の部屋のドアーを開けて、靴を脱ぎながら明るく「ただいま!」と笑顔で入ってくるのです。

ところがこの日は様子が違っていました。実家から戻ってきた“みき”が、突然「別れたい」と言い出してきたのです。

「婚約もしていないのに、隠れて会っている、このような暗い生活」がもう耐えられないということでした。
大学や劇団や下宿の友達、そして親にもウソをついている「二人の生活」が辛い、と涙ながらにして訴えてきたのです。
普段の明るい“みき”からは想像もつかないほど、深刻で冷静な話し振りでした。

そんな話を聞いている内に「ミキと別れるんだったら、もうギターは止める」と言って、その場でギターを叩き壊してしまったのです。
大学に入って買った、一番大切にしていた茶位ギターでした。

6本の弦を鷲掴みにして強く引きちぎると、まるでギターの叫び声のような音がして6本の弦がバリバリと切れ、さらにギターのネックを持って机に思い切り叩きつけると、「パーン」と板の割れる乾いた音がしました。

見ると、表面版が割れ、側板が砕け、裏板が飛び散っていました。
自分でも驚くほどの私の気性の激しさでした。
ただ、“みき”を失った後、いつも一緒で“みき”との思い出が多いギターを、一人で弾くことが耐えられなかったのです。
これは絶望感からくる自暴自棄的な行動だったんだと思います。それと、ギターを練習しても練習しても上手く弾けない自分に限界を感じていて、「もうギターは辞めたい」と思っていた時期でもあったのです。

ギターを机に叩きつけている私を見て“みき”が「やめて!お願い」と泣き崩れてしまいました。
そんな“みき”を見て私も号泣してしまったのです。
そしてその夜、「大学を出たら結婚しよう」と二人で誓い合い、それが二人だけの“婚約”でした。


実は、今年(H17年)の8月から、ギターを製作するため、「茶位ギター工房」に毎週通っています。
純粋にギターの構造を知りたい、自作のギターを作ってみたい、そんな動機が大半です。
でも、「大好きだったギターを自分の手で壊してしまった」という罪の意識がずっとあったので、自分で「復元したい」という気持ちもあったのです。
それと、弾きやすくて、とても綺麗な音だったあの時の茶位ギターを、もう一度弾きたいとも思っています。
ギターを壊してしまったのはもう30年以上も前のことですが、いまだに忘れられないほど罪作りなことをしました。