ちょっと余裕の2年生 
1年生の夏の合宿、そして秋の大学祭と、ギター部の行事や学生生活にも少し慣れと余裕が出てきました。
下宿の「高木荘」では、4年生は又4年生をしたり、就職した人も居心地が良いのかそのまま居残ったりで、男性棟の住民にも変化はなかったようです。

女子の棟では多少入れ替わりがあったようですが、相変わらず交流もなかったので興味もなかったです。
ギター部の4年生は5、6人いましたが、全員優秀そうで大手の会社に就職が決まり、私は2年生の春を迎えました。
《合同ハイキング》


初めての「合ハイ」です。
(この写真は1年生のものです)
新学期を迎えると、ギター部にも新入生が入り活気が出てきました。

この時期は新入生歓迎コンパで盛り上がり、そして「合ハイ」などの企画が出て来る楽しい季節です。
この「合ハイ」というのは「合同ハイキング」の略で、 特に女子大のギタークラブなどとの交流が目的。

つまり早い話が “ガールフレンド” をゲットする数少ないチャンスなのです。
総勢20数名でどこか行楽地に行って、一緒にお弁当を食べて、ギター弾いて歌ったり、クジで決めた即席のペアでゲームをしたり‥‥と言ったようなかなり健全なものです。

でも、わがギタークラブの男性はおとなしすぎるので、なかなかカップルはて゜きなかったですね。
それでもギター部のS口先輩(下の写真)は、他大学のギタークラブの女性と果敢に交際して結婚した例もあるので立派です。

写真をクリック。今年の年賀状の写真が出てきますが、30年ぶりに見る幸せな写真です。お孫さんと一緒とのことです。お互い年を重ねましたが、彼から見ると私も同じ思いでしょうね。)

そんな「合ハイ」の時の私の写真を見て、「ヒミ」という女性から交際の申し込みがきました。(この子は合ハイには参加していなかったのですが)
保育科の短大の学生で寮に住んでいるらしく、私の写真を見ただけでどうやら好きになったらしいというのです。それまで女性とは全く縁遠かった私にも初めてのガールフレンドが‥‥。

その子の写真を見せてもらいましたが、その時はそれほどトキメキませんでした。
が、「まぁ、いいか」 と付き合ってみることにしました。

⇒写真は合ハイの時のペアですが、「初めてのガールフレンド」ではありません。

《大学に入学して初めてのガールフレンド》

そして、その子の寮に電話をして早速会うことになりました。
会って見ると意外に写真よりもずっと可愛かったですね。
小さな女の子で、目元は少し下がり気味でしたが、ちょっと舌足らずで笑顔が良かったです。
初デートの最大の目標は帰るまでに「手をつなぐ」ことでした。
手をつないで嫌がらなければ次のステップへ……と考えていたのです。(これってどうなんでしょう。今考えるとすごく不謹慎なんですが、当時はまだ若かったので、こう考えていました。)

初デートは7月の暑い日曜日で、行き先は三重県の「伊勢神宮」と「鳥羽水族館」でした。
伊勢神宮へ通じる木陰の道に小さな清流があって、その川には鯉がいっぱい泳いでいて、さらにその先に白木作りの本殿があります。
この建物が見えた時は感動的でした。そして心を清めて(?)、その後鳥羽水族館へ。

2人の会話もスムーズで楽しく、とてもいい感じになっていました。
でも、実は2人で歩きながらずっと「いつ手をつなぐか」という事ばかり考えていました。
なかなかキッカケが作れないのです。「つなごうかな」と思うとドキドキして駄目で、自分の手が汗ばんでくる始末です。(きっと不純な心が清められて後ろめたい気持ちになったのかもしれません)

鳥羽水族館はそれほど大きな施設ではなく、ありふれた魚しかいなかったようで、記憶はほとんどないです。
まだ早い時間だったので、水族館を出て海の見える堤防で2人並んで腰掛けて、楽しくおしゃべりしていました。
そして、「もう帰ろうか」と私が先に立ち上がって、そっと彼女に手を差し伸べたのです。
心が清められたせいか、ごく自然に出来たのですが、そのあと一瞬にして緊張が走り、お互いに汗ばむ手をつないだのでした。
それまで楽しくしていた会話が突然途切れてしまい、そしてお互いにしばらく無言……。


でもそれからは、駅までの道のりをずっと手をつないで歩き、楽しい会話が続きました。(成功!)
数日後、“ヒミ”から手紙とお礼の品物が届きました。早速電話をして、夏休みが終わって「9月に会おう」と約束しました。さて、次のステップだ。(次号に続く)


《初めてのソロ演奏》

1年生の10月から「吉本ギター教室」に行っていましたが、翌年の7月に門下生によるコンサートがあり、私も出演することになりました。

当時はバッハが好きで良く弾いていましたが、この時の私の演奏曲もバッハの「BWV999プレリュード」(セゴビア編)でした。
1000番の「フーガ」の前に弾かれる前奏曲ですが、単にこの曲だけで弾かれることが多いようです。
特にセゴビアの編曲は音楽的にも優れていて、絶対に妥協しない運指(押さえる指の指定のこと)はとても難しいものでした。

ギターアンサンブル部では、大学祭で合奏や二重奏は弾いていましたが、やはり独奏は特別な緊張があるものです。

そのコンサートを一週間後に控えた時、「今日からこの曲を100回弾こう」と思いました。それは、NHKテレビのギター教室で京本先生が「弾けるというのは10回弾いて、10回ともミスのない演奏のことです」と言っていたことがいつも頭にあったからです。
それからはアルペジオやスケール練習をした後に、紙に「正」の字を書きながら10回以上毎日弾き続けました。
そして100回をクリア。「やるだけやれば後悔はない」というそんな思いだったと思います。

当日の演奏は緊張はしましたが、殆ど無心で弾けた感じでした。
演奏が終って舞台袖に戻って来ると、同席していた野村先生という方が私に向かって肩を上下しました。
何のことだろうと思っていたら、「ちよっと肩に力が入っていたね」という意味でした。なるほど写真(上)を見ると肩が上がっています。やはり相当緊張していたんですね。

この「ギター教室」で学ぼうとしたのは、自分の技術というのもありますが、もう一つ大きな意味がありました。
それは所属する「ギターアンサンブル」の演奏レベルが低く、入部した新入生にしっかりとした指導体系が全く無かったことでした。それまでは部員が講義の合間にちょっとギターを弾く程度で、とてもコンサートなど開ける状態ではなかったのです。
私や他の部員が「ギター教室」で学んだことを初心者に教えることで、新入生や初心者のレベルが確実に上がっていったのです。

そして、この年の11月に「ギターアンサンブル」が創立して以来、初めてのコンサートを開くことになりました。
部員の総勢はわずか14名。内7名はこのクラブに入部して初めてギターを弾いた初心者でした。
(次号に続く)